振り返ったタク  その1  H15/4/28
【プロローグ】
 うちの”自閉症“の息子タクは地域の学校に通っており、この春から中学2年に進級しました。
標語で最優秀賞を頂きました! クリックで拡大 ↑

かなり重い?”自閉症”なもので、いまだにまともにしゃべれませんし、会話でのやり取りできる内容は、「〜をする」「〜をした」ぐらいなことしかありません。
 タクにとって人間らしい感情のこもった表現や形容などはもっとも苦手とするところです。
「今日の晩ご飯は何食べた?」と聞くと、「ヒルゴハン、アサゴハン、バンゴハン」と答えにならない返事が返ってくるヘンテコリンなヤツです。
でも、体の方はといえば、陸上クラブに所属してまして、長距離を走っておりますので健康そのもので、ごはんなども茶碗に山盛り3杯食べるのでいつも「食べすぎやで〜」と止めるのに一苦労してます。
 中学校に入って急に成長したことについて、何回かに分けて紹介したいと思います。
 右の標語は、こちらが「戦争は?」と尋ねてタクが自主的に発した言葉です。
「悲しい」とか「悪い、こわい」といった言葉がでてくること自体奇跡的なことでした
【3歳ごろ】
 タクは3才まで全く目線がうつろで誰とも目を合わそうとしませんでした。外に出ても手をつなごうとせず、無理やりつないでも手を振り切って一人でトコトコとあてもなく歩き続けますので、追いかけるのに必死でした。
 他人を意識することがなかったというよりも、他人を必要としない、他人はそのへんに転がっている石コロにしか見えてなかったようで、自分にとって他人などどうでも良い存在だったのです。
 他人のみならず、親に対しても同様で、居てようが居てまいがまったく無関心のようで、そういった意味では典型的な”自閉症児”だったように思われます。親にとって子供から無視される・・・これほどつらいことはありませんでした。

 “自閉症児”を理解する上で、「他人を怖がってる」とか、「自分に閉じこもっているから一人ぼっちでかわいそう」という表現は、厳密には当てはまりません。そのような見方はかえって“自閉症児”を間違った捕らえ方をしてしまいどう接してよいかわからなくなってしまうものです。いくら一生懸命に働きかけても「ぬかに釘」「のれんに腕押し」何の反応もないのでお手上げになってしまい、もうどうでもいい!!と、何度投げ出しそうになったことか・・・。

  そのごろのタクの様子でもっとも覚えているのが、同じぐらいな幼児同士での物の取り合いで、競争心などまったくなくて、とられたら取られっ放し、ひもの引っ張りあいなんかなされるがまま・・・それと、砂いじりが好きで、ほっておくと一日中すわりこんで砂をいじってました。
いまとなっては懐かしい思い出ですが、その当時は、なぜ?どうして?と頭をかかえこんで悩んだものです。
ですから、ほっておいたら一日中でもボーっとしてるタクに、無理やりにでも人間は人とかかわっていかなければ生きていけないということを教え込んでやることが一番必要なことでした。

  といっても実際に何をどう教えていくのかあれもやりこれもやり試行錯誤で途方にくれる毎日でした。しかしながらタクを見ているうちにだんだんと理解できてきて、どうかかわっていけば良いのか次第にわかってまいりました。
【もっと強く】
  “自閉症”に括弧をつけてるのはそんな理由からで、“自分に閉じこもる”と言う見方はこちらが勝手につけた、いわばこちらの立場で見たままをあらわした言い方で、当の本人にとってはいい迷惑な言われ方ではないかと思うのです。本人に聞いても何も言いませんので真意はわかりませんが、もしこんな言い方があるとすれば“排他症”あたりのほうが的を得ているのではないかと思います。

  “自閉症児”はイメージ的には弱そうに見えるけれどもある意味で精神的にこれ以上強いものはいないのではないかと思えるほどです。
かなり、頑固な面もあり、少々乱暴な表現ですが、こちらが下手に出てるとつけあがる、なめてかかる、しんどいことはさける、楽なことしかしない、ガマンしない、ズボラをする、なまける・・・
そういった観点から見れば、“自閉症”ではなく“排他症”ではないかと思えてくるのです。
 おそらく“自閉症”を長年指導してこられた先生方、研究者の方は「とんでもない!」「もっとスキンシップを多くして、やさしくかかわっていけばきっと心を開いてくれる」と言われるかもしれません。

 しかしながら”排他症”ととらえれば、そんなことではいつまでたっても伸びるわけがない、もっと上からぐいぐい引っ張ってやらないとダメだ。内に閉じこもっているのでやさしく開いてやればよいというような腫れ物にさわるみたいなかかわり方ではなかなかまともな指導は出来ません。そうではなく、もっとズカズカと入り込んで、もっと大胆に、もっと強く、もっとしっかりと指導してやることこそが必要だということになります。

もっと早くからこのことに気づいていればよかったのですが、そんな指導を始めたのは小学校に上がったぐらいからでした。
そのごろから次第に、それまで全くこちらの言うことを無視していたタクも何とか指示が入るようになっていったのです。
振り返ったタク その2