2001/10/7 (日)
うちの次男坊”タク”

3人兄弟の末っ子の息子"タク"は、いま小学校6年生で 「自閉症」といわれる障害をもっております
通常の地域の小学校に通っています。クラスは、ひまわり学級と言う障害児専用の学級もありますが、うちのタクは普通学級に在籍しています。5年生までは、登下校とも母親と一緒でしたが、6年になって、登校は、一人で行けるようになりました。下校は迎えに行ってます。

それだけ聞くと、な〜んだたいして手のかかる子じゃないのでは?と思われるかもしれませんがどっこい大変なのです。
1年生のごろは、果たしてこの学校に通えるのか?毎日、教室で付き添ってなければやっていけないのでは?と心配したものですがどうにかこうにか、ここまでやってきました。そういった意味ではずいぶんと楽になりました。
どこが大変なのかと言うことは、すこしずつ説明してゆきたいと思いますが、長くなりますので次回にしまして、今回は、ほとんどの方が間違って認識されてる可能性があります「自閉症」についての一般的な概念を述べさせていただきます。もちろん、これはどんな文献も参考にしたわけでもなく、これまで育ててきて親から見た素直な感想です。

「自閉症」カッコつきになってますが、うちの子が自閉症と診断されたのは、小学校にあがるときぐらいではなかったかと思います。そのごろから、どうも「自閉症」と言うのは、見た目だけでつけられた病名で、うちの子に関して言えば、核心をついてない誤解を招きやすい病名だと考え始めていました。
現在のうちのタクがどんなのか想像していただきたいのですが、身体的にまったく問題はないし、表情もそう極端におかしいところはないのですが、はっきり言って"へん"なのです。悪い言葉でいえば、"アホ"と表現したら一番わかりやすいかもしれません。 親が言っても差別発言になるのでしょうか・・・。まあそんなことはどうでも良いことですが・・・

タクは、こちらの指示に関しては、大体のことはわかりますが、普通の会話はできません。自分から、しゃべることといえば、「おしっこ行きます」「お風呂にはいる」「ご飯を食べる」「二階へあがる」「一輪車にのる」「プールに入る」などなど・・"だれが、どこで、なにをした"と言った会話に関しては自分のほうからしゃべることはありません。こちらから聞いてやれば何とか答えられるか、う〜んもうすこしかといったところです。

タクが家にいて自分ですることは限られています、机に座って漢字を書くこと、塗り絵をすること、飽きてくると布団に入ってごろごろすること、おしっこに行くこと、驚いたことに10〜20分おきにトイレにはいります。これぐらいのことですが、こんな子の一番の特徴としてあげられるのが、とにかくじっとしてないことです。すわってても、ひっきりなしに立ち上がって手をひらひらさせたり、鏡を覗き込んだり、二階へあがったりします。もうひとつは、タクは、ふだんから一見ぼーっとしていて何を考えてるのかわからないのですが、いわゆる健常児みたいな、ぼけーっとしていることはありません。いつもなにかに追われているのか、何かしてないと不安なのかどこかがうごいてます。 ですから次に何かすることが決まっている場合が一番安心みたいです。ご飯を食べたらすぐ風呂に入る。「まあちょっとマテや、ちょっと休憩してから」と言っても何回も「お風呂に入る」を繰り返します。それが終わったら、「お布団に入る」です。タクにとってこのときが一番安心みたいです。なかなか寝ないのですが、一日が終わったことの安心感でしょうか一番生き生きしてるように思います。

そんな子ですが、イメージできますでしょうか?
さて 「自閉症」というのは、字面からいくと、自分で閉じこもってしまうと書きます。ところが、本人にしてみたら、自分で閉じこもるような理由なんてまったくないのです。なぜかと言うと、他人にどう思われようと、また他人が何を考えていようとどうでも良いことなのです。 もっと小さいとき、本人にとっては親も他人もなく、石が転がっているぐらいにしか思えてなかったようなそんな気がします。それほど無反応でした。
閉じこもるとは、他人との関係を意識的に遮断することなのですが、もともと他人との関係のことなど眼中にない本人にとって、意識的に遮断するような必要もありません。もし、意識的に遮断しようという意思があるのなら、もうそれだけでもはや「自閉症」ではなくなっていて「自閉症」より数段上の意識があり、いくらでも解決の糸口がさがせる子供さんなのです。

「自閉症」という名称は、主体的な名前でなく、そうでない人によって勝手につけられた受動的な名前なのです。ですから、かわいそうにと言う誤解を招きやすい病名になってしまったところがあって、そこが一番問題なのです。
"かわいそうに"からはなにも見出せないと言うことがわかるのにはずいぶんと時間がかかりました。もっと早くわかっていれば、という後悔さえありますが、この点に関しても長くなりますので次回にしたいと思います。


01/10/12 (金
修学旅行とおみやげ
昨日と今日、タクは一泊二日の修学旅行へ行っていた。

送り出す前はまあ無事帰ってくるだろうというような軽い気持ちで送り出したのだが、内心この二日間穏やかではなかった。
みんなの流れに沿って歩いてくれたらいいのだけれど、ついてきてるなと安心してても、いつのまにかかってによそへ向いていってしまう。しかも、一旦離れると糸の切れた凧のごとく振り返ることなくどこまでも行ってしまうのだ。

幼少のごろと比べるとずいぶんましになったが、それでもこれまで幾度となくこのパターンで振り回されてきた。親でもこんな風だから先生なんかまったく当てにならない。ましてや、普段、学校内では、よく面倒見てくれている友達なども、今回に限っては浮き上がっていてタクの面倒なんかとっても見れる状態ではないであろう。安心なのは、バスの中、見学で整然と並んで歩くとき、旅館の中、これぐらいは大丈夫と思われるが・・・

一番危険なのは、買い物のとき、これはそうとうやばい。出かける前は、スーパーの買い物でシュミレーション訓練を受けたみたいだった。ここで、はぐれないことが一番大事なことだったのですが、そこをクリアできればあとは果たして、お土産を買ってきてくれるかがタクの成長を占うキーポイントだったのです。これまで、自分で買ったものといえば、自宅のそばで缶ジュース買ったぐらいだ。「これ下さい」何ていえないし、普段から勝手に店のものに手をつけないように教えてきてるものだから、自分で手にとっていいものかどうかもわからない。
ましてや、お金は、ポケットにねじ込んでやったが、自分がお金持ってることさえ自覚してないはずだ。すでにお金は、どこかにほってしまってるかもしれない。

あたりはもう真っ暗になって、6時ごろ無事帰ってきた。なんと、手には、なにやら四角い箱の入ったビニール袋を持っているではないか。「おみやげか?」と聞いても例によって、「おみやげか」と答えるだけだが、明らかにこれはお土産であった。
夕食後、早速みんなであけて大喜び。中身は、普段その辺に転がっておってもだれも手につけず、結局カビが生えてほってしまう典型的なあんこ入りの饅頭であった。大きな盛り上がりとはうらはらに、だれも手をつけようとしなかったが、タクはひとつ食べた。私は二つ食べた
とにかく、今回の修学旅行の収穫は、これまでの出来事の中でも五本の指の中に入るぐらいすごいことであった。
すこし残念だったのは、出るときにはいていたパンツそのままはいて帰ってきていたことぐらいか。

2002/02/03 (日)
漢字で100点満点
 まともにしゃべることが出来ないタクですが、漢字のテストで100点取ってきた。
漢字を覚えることに関しては、得意としてましたし、以前も何回か100点取ってましたのでことさら珍しくもないのですが、なぜこの点だけは優れているのか考えてみたいと思います。
 「自閉症」児の特徴としてよく挙げられるのは、一般の子供では到底おぼえることの出来ない、全国の駅名を全部おぼえたり、時刻表を暗記したり、カレンダーを丸暗記したりして、一見すごい能力がありそうに見えたりすることです。
でも、その特徴も、何のことはない、「自閉症」独特のこだわりの現れであって紙に書いたもちに過ぎません。
単に、覚えてるというだけで、少しでも様子が変わったりするともうついていけない。つまり、応用が利かないのです。
タクが漢字を覚える事に関してもこれと似たようなものかもしれませんが、親の欲目から申し上げますと、一般にいわれる「自閉症児」のこだわりの現れとはちょっと違った、タク独特の何かがあるのではないかと期待を抱かせるものがあります。
 その理由は、
まず、われわれが漢字を使うのは、頭の中に漢字の”概念”やイメージが出来上がっていてその入れ物の中から引っ張り出してきては、組み合わせて使っているのです。 前後の文章の流れの中で、その意味とともに頭に浮かんできます。
ただ単に、○○と言う漢字を書けといわれてもなかなか思い出せなかったり、度忘れしたりするのは、”概念”が形成されないからです。 つまり、その漢字を書くときというのは、漢字のもっている意味と漢字そのものの”かたち”を頭の中に無意識のうちに思い浮かべ初めて思い出すことが出来るのです。

 ところがタクの場合、漢字の持っている意味に付いては全くと言っていいほど理解できません。
やれ、”さんずい”は水に関連してるだとか、”てへん”が付く漢字は手でする作業だとか大まかな”概念”作りの作業は、タクにとって最も苦手とするところなのです。
にもかかわらず、どうやっておぼえているかと言えば、やはり、漢字そのもののもっている”かたち”から入るのだと思います。
すなわち”かたち”をインプットする力がわれわれより優れてるのではないかと思います。
そんなに何回も写し書きしてるわけではないのですがいつのまにか頭の中に入ってる。
われわれに、意味の無いものだけど漢字の”かたち”だけ覚えなさいと言われて果たしてどれだけ覚えることが出来るでしょう。
 こんなもん、何の役にも立たないよ、才能でもなんでもない・・・と言ってしまえばそれまでですが、親の目から見て、よーぃドンで競争させて、他の子供に勝てるものがあること、それだけで、すごい!!頑張ってる!!と思わせてくれてます。

2002/04/06 (土)
中学進学
4月5日は中学校の入学式がありました。
小学校の6年間、過ぎてしまえばあっという間でしたが、こちらのほうは機会があればすこしずつ振り返ってみたいと思います。
さて、たくも4月から中学生です。  新品の学生服(詰襟)に包まれるといっちょまえの中学生です。
さっそく玄関前で記念写真を撮りました。

たいていの「自閉症児」は環境が変わることに極端な不安と拒絶を示すものですが、タクはといえばその点に関しては一向に平気な様子。あいも変わらずヘラヘラ笑っているのです。 それでも、タクは言葉には出しませんが、少しはいつもと違う雰囲気だけは察していたみたいです。

ニコニコしながら記念写真を撮り終えるといよいよ初登校となりました。
歩いて、約15分ぐらいなところで、途中そんなに危険なところはありませんがやはり一人で通えるようになるには5〜6ヶ月はかかるであろう。 すでに背を越した母親と並んで行きました。

入学式はかなり長い間いすに座ってなければなりません。 通常の子供さんでもかなりのしんぼうが必要です。
小学校のごろはといえば、タクの隣には必ずといっていいほど、とっぴな行動に出る前に抑えてくれるお友達が控えていてくれたのですが、今回の入学式では、おそらくそんなことまで考えた席順ではなかろし、しかも隣同士が他の小学校からきた子供さんでしたらまったく始めてみる顔、タクがどんな子供かも知らないであろうし、話しかけても反応なし、どついてもヘラヘラ笑ってたらかえって不気味に思われるであろう。

そんなことより、式の間じっと座っていられるかどうか・・・急に立ち上がって式場を駆け回るのではないか・・・
親としてはその一点だけが気がかりなのです。

どんな子供さんでも、また大人でも、自宅にいるときと世間に出たときでは態度が変わります。
あるときは、家ではいつもまだまだ子供だと思ってるわが子が外に出て思わぬ大人びた一面に接したりすることがあります。
タクも家ではじっと座っているときは、絵を描いたり漢字を書いたりしているときだけで、あとはひっきりなしに動いてます。
何の目的もなくたったり座ったり、鏡を覗き込んだり、トイレに入ったり手を洗ったり・・・
ところが、「集団の中に入ると、みんなについていく、じっとしてる」このことだけでも6年間地域の小学校の普通学級に通った意味があったのです。
おかげさまで、めだって変わった行動もなかったみたいで一安心でした。
でも、もし式の間一人で会場を走り回ったりすれば、みんなに「俺はこんな男だ〜よろしく〜」っと印象付けられて、あとあと良かったかもしれませんね。  いえいえ、その場に出席してなかった親父のひとりごとですよ・・・
こんな子、みんな見て見ぬふりするよりも積極的にかかわってくれたら親としては本当にうれしいですね。
これからの中学生活、タクにとって有意義であらんことを願う。

2002/04/24 (水)
ツベルクリン注射
 普段から悪いことをしたときの脅し文句として「注射するぞ」が一番効力があるぐらいですから、タクにとってもっとも苦手とすることなんです。
学校の先生から非常に困惑した声で電話がかかってきた。「タックンが暴れて注射ができない」と生徒からの報告でがあり、あわててうちに電話してこられたみたいだ。もうお医者さんもあきらめて帰られるので何とか母さんに来てもらってほしいとのこと・・
はは〜入学してまだ2週間ばかりなので無理もない。先生たちはまだタクのことはよく理解してない。
おそらく、「自閉症」にありがちなパニックの事を気にされてるのであろう。

 確かにパニックは周りのものにとって厄介だ。小さい子供ならいざ知れず、もうかなりの力もついてきており大暴れし出したら何をしでかすかわからない。バットでも持って振り回されたらそれこそ大変だ。
タクの場合は、一時期押さえが聞かない時期もあったが、それも必死で自分で自分を抑える力をつけてきた。

 パニックに陥るときは、こちらでは予想もつかない些細なことが多い。  自分の意思がうまく相手に伝わらない、自分でこうしようと思ってるのに無理やりやめさせられたなどで、たとえば、タクの場合よくあるのは、自分でご飯をよそおうとしているのに、こちらがむりやりついでやったとか、自分で出来る事をさえぎられたりした時が起こりやすいです。 
  タクも自分にプライドを持っているのです。 
 今回のように、注射を無理やり押さえつけてさせてもパニックにはならないのです。  ましてやそのことが原因で、この先生にいつまでも根を持ったり、学校が嫌いになったりするようなことは絶対無いのです。 この辺のことは普通の子とは違いますので
面白いところです。

 電話で 「押さえつけてもいいからやってほしい」
      「でも怖がっているのでどうしましょう・・・」
      「タクは大暴れはしない、押さえつけて無理やりやったからといってそのしこりを後まで引きずることはないのでビシッと      強く言い聞かせてやってください。」
 うちでも良くやる方法は、”10数えるまで我慢”と言い聞かせると、自分で「いち にい さん しい・・・」と速く数え始めその間はグッと我慢してます。 終わったら、もう一回!!と、それを何回か繰り返してやればきっと我慢できます。

  さて、何事もなかったかのように学校から帰ってきました。 
 あとで聞いたところによると、タックンずいぶん賢かったとのこと、痛くない痛くないと言い聞かせてやればグッと我慢したそうです。 タックンをほめてやってくださいとのこと・・・
 私としては、タクのことはもちろんだが、先生のほうを”ほめてやりたい”気分でした。

2002/09/13 (金)  
中学1年になって
タクのこれまでの成長について一生懸命思い出そうとするのだが、断片的には記憶にあってもつながらない。
どう書けば分かってもらえるのか、言葉がうまく見つからないのだ。

この11月でもうすぐ13才になるタク。
小学校の6年生〜中学1年生にかけての成長ぶりには、驚くばかりである。
具体的に何々ができるようになったとか、何々が分かるようになったということの説明をしても、「なーんだそんなことか」ぐらいにしかとられないので、そうではなく、タク自身がやっと気づき始めたのではないかと思えることを書いてみたいと思います。

●自分の住んでいる家はここで、●家族は誰と誰で、●朝起きたら何をして、1日が始まって、学校へ行って、●帰って、ご飯を食べて、風呂に入って、寝る。そんな生活のリズムがわかり始めてきたような気がする。

●人をキズつけてはいけない。●勝手に物を食べたら怒られる・・・。●怒られたら恐い・・・。●その逆にほめられたら嬉しい・・・、●うまくいかないと悲しい・・・。
こういった一連の人間らしい生活のリズムと感情が身についてきたことです。

その事によって、気づかぬうちに少しはほっておいても安心できるような、安心感を我々に与えてくれるようになったのです。

通常、親から見て生まれた子供が、手がかからなくなったと一安心する第一段階は、家から一人で出ても遠くへは行かない、一人で帰ってくる。危険なことには近づかない。そんな、3歳ぐらいになったごろです。子育ての中で一番ほっとする時期ではないでしょうか。
3歳の幼児と一緒にしてはタクに申し訳ないのですが、現在のタクがまさにそんな時なのです。
やっと、ほっとさせてくれるようになったのです!!
このことから、これまでがいかに大変だったかお分かりいただけるでしょうか?

 さて、話はかわりますが、
 タクが誰より優れていることをひとつずつ披露していこ うと思います
 大きな偏食はないタクです。
 タクが誰にも負けないのは、魚の食べ方です。
サバの切り身は全て、アジは頭だけ、タクが通り過ぎた後には、魚の目玉ひとつ残されていませんね。
ですが、なぜかカマボコやちくわは苦手です・・・
親から見た たくみ